オーナー想い | Chie Sato
佐藤千絵
スキンフィットネスカウンセラー
【40代からの透明感ある素肌づくり 毎日鏡を見るのが楽しみになる】
肌育美容で生まれ変わる
新しい・飾らない私に出会えるサロン
- 札幌市内百貨店と、ホテルにて整体・セラピストとして勤務
- 痩身・美顔・アロマトータルサロン12年勤務
- ドクターリセラに出会い、店長として 延べ1万名施術
- ADSスキンフィットネスカウンセラー
- AEAJアロマテラピーアドバイザー
オーナー想い | Chie Sato
北海道の十勝陸別町(りくべつちょう)
日本一寒いといわれる小さな町で生まれ育ちました。
冬になると、窓の内側まで氷が張るくらいの厳しい寒さ。
実家は牛や馬を飼育する酪農家で、
家の周りには鹿やきつねが出てくるような、まさに田舎暮らしでした。
小・中学校の9年間は、同級生たった9名で過ごし
毎日顔を合わせ、一緒に遊んだり笑ったり。
あの頃の時間は、今でもかけがえのない大切な思い出です。
そんな田舎育ちの私は、ドラマ「北の国から」の大ファン。
今では娘に〝ほたる〟と名付けるほど、地元・北海道とそこにある自然が大好きです。
高校からは、実家から電車で通う生活が始まりました。
当時はギャルブームの全盛期。
ルーズソックスを履き、制服のスカートを短く折り、学校帰りはプリクラやカラオケへ。
新しい友達との出会いや環境がとにかく楽しくて、遊びに夢中に。
美容に興味をもち始めたのもこの頃からです。
メイクやファッション、ヘアスタイルなど、女性がきれいになる事にワクワクしていました。
テレビや雑誌をみては、
「アムロちゃんみたいにかっこいい女性になりたい!」
と、憧れを抱いていました。
進路を決める頃には
美容への関心が強くなり、他の仕事には目もくれず
〝女性をキレイにする仕事がしたい〟
と、帯広にある化粧品会社へ就職。
配属先は、まつ毛パーマや手のパックなどをする
小さな小さな路面店。
お客様へ化粧品をご案内したり、地方のお店へ営業に出向いたりと、販売が中心の毎日。
自分自身も化粧品を購入しなければならず、気付けばいつもお金に余裕がない生活でした。
「女性をキレイにしたい」という最初の想いよりも、
「売らなければならない」という気持ちがどんどん大きくなり、
気づけば販売に追われる日々。
つらく感じることも多く、
「この仕事は自分に向いてないのかもしれない」
そう思うようになっていきました。
新卒で入社して、一年足らずで退職。
親になった今の私なら、
「最初は大変でも、これから楽しいことも増えてくるよ」
と、わかりますが
この時はまだなにもわかっていない、世間知らずでした。
やりたい事が見つからないまま
アルバイトを続ける毎日。
ところが、あるキッカケで気持ちが
変わります。
身体に違和感を感じ、病院を受診。
診断結果は「頭部打撲による慢性硬膜下血腫」。
頭の3分の2ほどが血で頭を圧迫されていて、そのまま緊急手術となりました。
あまりにも突然の出来事で、頭が真っ白に。
両親のこと、仕事のこと、そして自分の命のこと……
頭の中がぐるぐる回って、とにかく怖かったのを覚えています。
そして、手術は無事成功。
この経験から、私は強く決意しました。
「いつ何が起きでも後悔しないように生きる」
やりたいことをやる。
そして、私は一体なにがしたいのか。
これからの人生と
真剣に向き合うようになりました。
この頃、肌にニキビなどができやすくなったり、全身のむくみや疲れやすさも重なって、心も体も不安定な時期でした。
少しでも改善したいと思った私は、エステやオイルマッサージによく通うようになっていきます。
エステに行くと、癒されるだけじゃなく肌もキレイになって、体も軽くなる。
「また明日から頑張ろう!」という気持ちにさせてくれて……
エステサロンという場所が、私にとって欠かせない場所になっていました。
そして、いつの間にか
「私も、こんな風に人を癒しながら
キレイにして差し上げられる仕事がしたい」と
夢を描くようになりました。
学生時代に抱いていた
「女性をキレイにしたい」という想いは、ずっと変わっていなかったことに気付いたのです。
それからすぐに、エステの勉強をするために学校を探し、通い始めることに。
授業では、ネイルやボディ、フェイシャルを中心とした幅広い知識と技術を学びました。
特に印象深いのは、モデルさんにフェイシャルの練習をしたときのこと。
お手入れを進めていくうちに、お肌のトーンが明るくなり、さらにリフトアップまでしていく瞬間に感動しました。
「もっと肌について学びたい」
「もっと多くの人の肌を変えたい」
その想いが、私の中でさらに強くなっていきました。
学ぶことが本当に楽しくて、夢中になっていたのを覚えています。
学校卒業後、フェイシャルの資格を取得したあと
都会への憧れを胸に、美容の仕事が多い札幌で働くことに。
2008年、25歳のときでした。
札幌の新しい生活は、希望にあふれていました。
整体やトータルケアを行う百貨店内のサロンに就職し、
たくさんのお客様と関わる毎日はとても刺激的で、夢に近づいてる気がしていたんです。
百貨店だけではなく、温泉旅館やホテル内のサロンにも出向き、さまざまなお客様と接する日々。
月に100名以上のお客様を担当することで、
「お客様が本当に求めているもの」が
少しづつ見えるようになってきました。
「身体が軽くなって、すっきりした!」
「自分の肌じゃないみたい!」
とお客様に喜ばれることが
嬉しくてたまりませんでした。
常連のお客様から指名をいただけるようになり、
「もっと技術を磨きたい」という気持ちも強くなってきました。
そして私は、これまで経験のなかった痩身や美顔という分野にも挑戦したいと思うようになり、
大手エステサロンへの転職を決意。
華やかな女性が活躍する世界。
私もあんな風に成長できるはず--
そう信じていました。
でも、現実は違ったんです。
転職先で待っていたのは
想像を超える厳しさでした。
毎朝、軍隊のような大声での挨拶から始まり、徹底した掃除。
マニュアル通りの接客で、少しでもミスがあれば大きな声で叱責される日々。
サロンに掲げられたホワイトボードには、スタッフ全員の売上が並び、
もちろん私の数字もそこにありました。
少ない成績を前に、プレッシャーと焦りがのしかかっていきます。
先輩の顔色をうかがい、
失敗しないように、怒られないように過ごす毎日。
夜遅くまで技術練習をし、睡眠時間を削っても成果はでない。
休日も出勤が続き、気づけばメンタルはボロボロ。
ストレスで過食気味になり、体重は10キロ近く増えていました。
「こんなエステティシャンに接客されたくないだろうな……」
と、ネガティブな思考ばかりになっていました。
ある日、先輩から告げられた言葉が今でも忘れられません。
「どんなに努力をしてもできない人はむいてないんだよ」
いままで、努力をすれば叶うと信じていた私は、
その一言で失望し、エステティシャンとしての自信は一気に崩れ落ちました。
それでも「夢を諦めたくない」という気持ちだけで、
なんとか辞めずに仕事を続けていたのです。
上司に、「体験エステのレポートを提出するように」といわれ、
いくつかのサロンを巡ることになりました。
毎週、違うサロンでエステを受けては、カウンセリングや施術内容、
感想をまとめて提出。
多くのサロンでは
「このままだと大変なことになりますよ」
「今すぐコースを契約したほうがいいです」
と、不安を煽るような言葉をかけられることが多かったんです。
そんな中、とあるサロンで出会った一人のカウンセラーさん。
その方は違いました。
私の体や気持ちを心から心配してくれて、余計な詮索もせず、ただ寄り添って話を聞いてくれる。
その時間は、張りつめていた心がスッと軽くなるような感覚でした。
「このサロンにもっと通いたい」
気付けば、プライベートでも足を運ぶようになっていました。
売上ばかりを追っていた私にとって、
〝お客様に寄り添うことの大切さ〟を教えてくれた出来事です。
最初は自分の仕事を隠していましたが、通ううちに少しずつ心を開けるようになり、仕事の悩みも打ち明けました。
すると、そのカウンセラーさんから「一緒にここで働きませんか?」
と、ありがたいお言葉をいただいたのです。
一から学び直す覚悟で、働かせていただくことに決めました。
それから12年間、ここで過ごした日々が、
私の人生を大きく変えるきっかけになったのです。
サロンでは、日頃の疲れを癒しに来られる方。
誰かに話を聞いて欲しくて訪れる方。
改善したいお悩みがある方は、肌質や体質を伺いながら、
一緒に解決策を探し、必要なお手入れを提案しサポートする。
ブライダルやイベントに向けて、最高の日を迎えられるように寄り添ってきました。
様々なお客様と出会うことで、エステという仕事は奥が深く
「肌や身体を美しくする」
「癒しや疲れをとる」
それだけではなく、
気持ちを前向きにしたり
「人生に関わる大切なサポートをさせて頂いている」
という責任と、やりがいを感じ、
私にとってエステティシャンという仕事が、かけがえのないものになっていました。
そんな中、一年半が過ぎ、エステティシャンから店長へ昇進することに。
仕事に自信がついてきた一方で、
肌のニキビだけは常にあり、ファンデーションで隠しながら
お客様にフェイシャルエステをオススメしている自分に、
引け目を感じていました。
そんな自信のない私に、ある日マネージャーから
「サロンでしている肌改善ケアをしてみたら?
私も使ってて、肌がかわるよ!」
きれいな肌で言われ、説得力がありすぐに実践。
ホームケアとエステで、みるみる肌が変わっていったんです。
果を実感したことで感動し、
それをきっかけに、より深く肌理論を学ぶようになりました。
肌が変わったことが自信につながり、お客様のお悩みにも、これまで以上に寄り添えるように。
サロンでは、フェイシャルをメインとしたカウンセラーを任せてもらえるようになりました。
仕事も充実したなか、結婚もして
2020年には、女の子を出産。
不妊治療の末に授かった我が子は、
かわいくて仕方がありませんでした。
家族が増えて、本来は幸せいっぱいのはずでしたが
このころ、コロナウイルスの流行で
人に会えない孤独と、
想像以上に大変な育児に、心も身体も疲れきっていました。
ふと、鏡に映った自分を見ると
産後のホルモンの影響で髪は抜け、育児に没頭するあまり、おろそかにしていた肌は
シミが増え、ガサガサに……。
「こんなはずじゃなかった……」
以前と変わった別人のような姿をみて、涙が止まりませんでした。
「子どもがいるから」
「もういい歳なんだから仕方ない」
そう自分に言い聞かせ、納得させていましたが
どこかで〝以前の自分に戻りたい〟という気持ちは消えていませんでした。
育休から一年半が経ち、職場に復帰。
長く勤めてきた会社の環境は大きく変化していました。
上司や同期が退職し、
コロナの影響で、お客さまとの関わり方も以前と違う。
そんななか、子どもが眠ったあとのほんの少しの時間。
久しぶりに鏡を見て、
スキンケアを丁寧にするように。
肌がうるおいを取り戻していくのと一緒に、気持ちも前向きになっていきました。
ちょうどその頃、会社から
フェイシャルをメインにしたエステサロンの立ち上げを任せられます。
新しい挑戦に不安もあったけれど、
お客様のお悩みに寄り添って、
お肌の変化を一緒に喜べる日々は、やりがいがあって。
気づけば、仕事に夢中になっていました。
時短勤務だった私は、ギリギリまでお客様を担当して、
ときには時間をオーバーすることも。
スタッフに引き継ぎをお願いして、
急いで保育園へお迎えに行き、
帰宅後は家事に追われる毎日。
一日があっという間に過ぎていました。
子どもができるまではわからなかったけれど、実際に経験をしてみて
世の中の、仕事と家庭を両立しているお母さんは本当にすごい。
心からそう感じ、今も尊敬をしています。
職場復帰から一年。
サロンのお客様は増えていくのに、スタッフの数は変わらないまま。
以前のように、お客様にゆっくりお話を聞いたり
お肌のお悩みと向き合う時間が、限られるようになっていました。
日によって変わる接客に、
「このままでいいのだろうか」
「お客様は本当に満足してくださっているのだろうか」
そんな想いを、
日に日に強く感じるようになり
長年勤めていた会社を退職。
独立することを決意します。
美容を通じて
様々なお客様と出会ってきました。
女性は、仕事、育児、家事や介護
毎日とても忙しく、周りのために
ときには自分を犠牲にしてしまいます。
強く生きる女性をみてきて、
ずっと変わらない想いがあります。
「美容の力で、心から幸せを感じ
美しくなることで、未来をもっと輝かせたい」
そのために私は、技術はもちろん
お客様の肌や身体を深く知り、
一人ひとりと心から向き合う信頼関係を大切にしています。
「もう年齢だから、肌はあきらめている」
「気持ちよくなれればいいんです」
そうおっしゃっていたお客様が、
お肌が美しく変わっていくにつれて、前向きに変わるんです。
「まだ変わるかしら?」
「肌を見るのが好きになった!」
最初は浮かない表情だったお客様が、鏡をのぞいて輝く瞬間。
笑った表情に出会えるたびに、
この仕事を選んで良かったと心から思います。
理想の肌や、自分らしい美しさに出会えたとき、
女性は心まで変わります。
そして、自分の未来まで変えていける。
私はそう強く信じ
美容という仕事をしています。